ハウスメーカーと呼ばれる住宅供給会社は、戦後から高度経済成長期を経て絶対的な住宅需要の中で躍進してきました。ハウスメーカーは住宅を徹底的に規格化・部品化し、そうした住宅部品を大量に仕入れることで、それぞれの単価を落とし、同時に現場作業の省力化・工期短縮を図ることで徹底的に建設コストを下げ、そのシェアを拡大してきました。
そして、資本力の大きなハウスメーカーは、その圧倒的な営業力で都市部から徐々に地方へとその食指を延ばし、営業力の乏しい工務店はその傘下に治まることで生き延びる道を選ばざるを得なくなったのです。
こうした規格化・部品化された家づくりは、大工をはじめ様々な熟練工を不要とし、日本が、そして地方が長い歴史の中で培ってきた家づくりの基盤を切り崩して行くことになりました。その土地の歴史・風土とは無関係に規格化された家は、同時にその土地独特の町並みを破壊し、今では日本国中どこに行っても同じ無味乾燥な風景が広がっています。
日本人は世界で最も“物”を持っている国民だと言われています。1950年代の戦後復興期には白黒テレビ、洗濯機、そして冷蔵庫が“三種の神器”と言われ、それらを持つことが生活の豊かさを測る指標となりました。そして、1960年代の高度経済成長期に入ると、それがカラーテレビ、クーラー、カーとなり、“新三種の神器”と呼ばれました。
経済が右肩上がりに発展し、物が豊かさの象徴となった一方で、それらが収まる家は、海外から「うさぎ小屋」と揶揄されるような狭くて低質なままでした。日本の電化製品は、そうした小さな住宅に対応するために、いかにコンパクトにするか、ということでその技術が発達したと言われるほどです。狭い部屋にあふれんばかりの電化製品に囲まれた家を他の国では見ることはできません。
ハウスメーカーの台頭はこうした消費者意識、すなわち”商品”を買うという意識に対応したものと見ることができます。そして、この時から家は「建てるもの」ではなく「買うもの」になってしまったのです。
電化製品はその性能、デザイン、価格といったものを見比べ、自分達に最もあったものを「選ぶ」ことができます。それと同じように、ハウスメーカーの家も「選ぶ」ことができます。しかし、この両者には決定的な違いがあるのです。電化製品は、私達の生活スタイルに合わせて「選ぶ」ことができますが、ハウスメーカーの家はたとえ間取りが自由に替えられるものであっても、生活スタイルをその家に合わせなければならない、ということです。私達は“選択の自由”の中に自らを拘束してしまったのです。
作家である和辻哲朗氏の著作の中に次のような一文があります。 「たとえば着物、火鉢、炭焼き、家、花見、花の名所、堤防、排水路、風に対する家の構造というごときは、もとより我々自身の自由により我々自身がつくり出したものである。しかし、我々はそれを寒さや炎暑や湿気というごとき風土の諸現象とかかわることなく、つくり出したのではない。」
さらに、東京大学教授で建築家の原広司氏は、その著書“集落の教え100”の中で、「自然の呼吸に合わせて、集落や建築の呼吸を計画せよ」と語っています。
はたして、家は“商品”だったのでしょうか? 私達は今一度自らにそう問いかけてみる必要があるのではないでしょうか。
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